酒都西条からこんにちは

40代おっさんのつぶやき

2018年豪雨災害から一年経って思うこと

2019年7月7日(日)

 

2018年豪雨災害から一年経った。丁度、節目ということもあって広島県在住の僕が当時のことを思い出しながらつらつらと書こうと思う。

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2018年7月6日(金)

2,3日前から雨が降っていた。僕は当日も普通に出勤していた。ただ、この時点では何の危機感も持たなかった。夕方になって、ゲリラ豪雨のような雨が降ってきた。普通、ゲリラ豪雨ってのは短時間で勢いが収まってくるのだが、なかなか終わらない。確か、翌明け方迄続いたと思う。21:00頃車で会社を出る。まだ、雨の勢いは激しい。途中、何か所か通行止めになっていたが、なんとか帰宅する。帰宅するなり、テレビ、ネットで災害状況を見る。どうやら、僕の住んでいる市全域に避難勧告が出ていた。だが、住民は全部で約20万人もいる。当然ながら、その人数を収納出来る避難所なんて無い。避難所情報もぽつぽつ出ていたが、絶対数が足りない。やることもないので取り合えず眠りにつく。

 

2018年7月7日(土)

朝、4時頃、電話で叩き起こされる。トラブル発生で会社に行かなくては行けない。車で家を出る。雨の勢いは弱まっていたが、道路のいたるところが土砂で埋まっている。又、陥没している。何とか会社に付き、応急的なトラブル対応を済ませ、14:00頃に家に帰る。テレビ、ネットで災害状況を見る。よく通る道が土砂に覆われている。又、死人も何人かでたようだ。幸いにも僕の住んでいる所はユーティリティ(電気、水)に影響は無かったが、影響のある地域もあるようだ。又、鉄道、国道が遮断されている。

夕方頃に避難勧告が解除された。

 

それから、一週間位は物流が乱れまくって食品、水等の供給が少なかったが、その後、回復。又、順次、国道、鉄道も復旧していった。復旧に尽力してくれた警察官、市役所。自衛隊等の公務員の方々、又、地域の消防団の方々、ボランティアの方々には感謝の思いが一杯だ。

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 今、現在でも県道やJRの一部についてはまだ、完全復旧には至っていない所がある。又、山を見ると一年前の災害の跡と思われる土砂災害の形跡は残っている。後から聞けば、この災害は200年に一度の規模だったらしい。確かに数百メートルも土砂が流されて家屋が流されるなんてことは想像も出来ないが、実際に起こった。

 

被災された方々には追悼の意を表すが、僕たちはこの災害を教訓とし、同様のことが起こった場合は適切な行動を起こさねばならない。

西日本豪雨を受け、国や自治体が発表する気象や避難の情報を、5段階の「警戒レベル」で知らせる仕組みが6月から始まった

 

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又、広島県には防災Webというものがある。

www.bousai.pref.hiroshima.jp

 

これらを駆使して今後はより適切な行動を取りたい。

 

今後も災害は絶対に起こる。土砂災害、地震津波等々。その災害で被災する人も必ず出てくるだろう。被害をゼロにすることは出来ないが、減少させることは僕たちの努力で出来る。

災害に備え僕たちは何をすべきか?まずは現状を知ることだと思う。

日常では自分が住んでいる場所の危険性、つまり土砂災害が起こりやすいか?津波が来たら巻き込まれるか?等を知ること。又、その場合は何処に避難すべきか迄を事前にシミュレーションしておくことが大事。

又、災害時は正確な情報を仕入れ、その後の行動を素早く決めることが大事。

 

と自分に言い聞かせながら筆を置く。